へーベルハウス建築記@神奈川県川崎市

神奈川県川崎市にDINKs夫婦が旭化成へーベルハウスの家を建てた記録と、その後の生活日記

ヘーベルハウス建築記@神奈川県川崎市

出雲計画~DAY2

スポンサーリンク

f:id:Colonel_Zubrowka:20210715093408p:plain

2013年8月13日。出雲計画2日目のお話です。

プロローグと1日目は以下の記事を参照してください。

 

www.colonel-zubrowka.com

www.colonel-zubrowka.com

 

DAY2

2日目の目的地は名勝厳島神社です。
1日目は滋賀県の草津で一泊したので、朝6時にホテルを出発して山陽自動車道をメインい一路広島を目指します。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210718200828j:plain

DAY2

最大の難所である京都・大阪を早朝にとっとと抜ける算段でしたが、大阪ではやはり渋滞に見舞われ大変でした。

途中、SAに寄って腹ごしらえ。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210718204922j:plain

明石焼き

兵庫に来たのだから明石焼きだ!ということで…

腹ごしらえを済ませて、第一の経由地に向かいます。

 

備前国一の宮 吉備津彦神社

本日第一の目的地は、備前国一の宮である吉備津彦神社です。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210718205803p:plain

備前国

備前の国は今でいう岡山東部あたりを指します。
元々吉備國だったところを、備前、備中、備後と三分割されたようです。京都に近い方から前中後という順番ですね。備前焼でも有名ですね。

実はこの備前の国、一の宮神社としては吉備津彦神社の他に、石上布都魂神社も一の宮を主張しているのですが、延喜式では吉備津彦神社の方が社格は上とされています。ただ、こちらも全国一の宮会に加入している神社なので訪れたかったのですが、この旅では時間がなく訪れることはできませんでした。

 

場所

山陽自動車道岡山IC(今は吉備スマートICが近い)からほど近い場所に位置しています。
備前と備中を隔てる吉備の中山を御神体とし、朝日の宮(あさひのみや)とも呼ばれています。

 

社史と祭神

古代より当社背後の吉備の中山には巨大な磐座(神が鎮座する岩)・磐境(神域を示す巨石群)があり、山全体が神の山として崇敬されてきました。

第十代崇神天皇の御世、四道将軍として遣わされた大吉備津彦命もこの山に祈り、吉備國を平定し、現人神として崇められました。諸民と国を深く愛し、永住された吉備の中山の麓の屋敷跡に社殿が建てられたのが当社のはじまりです。

昔話「桃太郎」は吉備國平定の際の吉備津彦命(桃太郎)と温羅(鬼)の戦いがもとになっているといわれています。

引用:吉備津彦神社パンフレットより 

創建時期は考古学的にはわかっていないようですが、社殿によると推古天皇の時代に創建されたそうですが、記録に現れるのは平安後期とされています。
まあ、ご神体となっている山があるので、祠の様なものから発展したと考えても良いかもしれません。

実は延喜式にはこの吉備津彦神社の記載はなく、備前国には安仁神社が明神大社格で記載があるのみなのですが、天慶2年(939年)に起きた天慶の乱で、安仁神社が反乱側に組したため、朝廷側についた吉備津神社の乱平定の祈願の御神意著しかったということで、備前国はこの吉備津彦神社に一の宮が譲られたという経緯があるそうです。実に政治的ですな。

 

主祭神

  • 大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)

相殿神はたくさんいまして、以下の通りです。

  • 吉備津彦命(若日子建吉備津彦命、稚武彦命)
  • 孝霊天皇
  • 孝元天皇
  • 開化天皇
  • 崇神天皇
  • 彦刺肩別命(ひこさしかたわけのみこと)
  • 天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと)
  • 大倭迹々日百襲比売命(おおやまとととひももそひめのみこと)
  • 大倭迹々日稚屋比売命(おおやまとととひわかやひめのみこと)
  • 金山彦大神
  • 大山咋大神

 

境内

早速境内に入っていきます。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210718214539j:plain

f:id:Colonel_Zubrowka:20210718234147j:plain

参道の両側には池が広がっています。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210718234243j:plain

鳥居をくぐり参道を進むと、隋神門にたどり着きます。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210718234403j:plain

隋神門

この門の両側には立派な石灯篭があります。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210718234436j:plain

高さ11.5m、笠石8畳の日本一大きな燈籠で、文政13年(1830年)から安政4年(1857年)の27年にも渡り寄付がよせられ、安政6年(1859年)に天下泰平を祈願して建立されたものだそうです。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210718234541j:plain

拝殿

手水舎を抜けて階段を上ると拝殿です。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210718234647j:plain

拝殿の奥には祭文殿があります。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210718234817j:plain

祭文殿

祭文殿の奥には渡殿となります。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210718234939j:plain

渡殿

そしてその奥に本殿があります。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210718235046j:plain

f:id:Colonel_Zubrowka:20210718235102j:plain

本殿

流麗な三間社流造りの神殿は飛鳥時代の社殿建築の粋がつくされており、荘厳華麗にして吉備国の神社建築が伝統とする“流造り”の正統な姿を示す社殿としても貴重な建築物とされています。本殿、渡殿、祭文殿、拝殿と社殿が一直線に配置されているのも特徴となっている。

実に立派な社殿でした。

参拝の印に御朱印をいただきました。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210718235727j:plain

吉備津彦神社御朱印

 

さて境内の隣に磐座の様な場所があったのでちょっとおふざけ写真を撮ってきました。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210718235414j:plain

 

備中国一の宮 吉備津神社

本日第二の目的地は、備中国一の宮である吉備津神社です。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210718235858p:plain

備中国

備中の国は今でいう岡山中部あたりを指します。
先ほど立ち寄った備前国の西隣ですね。

吉備中山を挟んで北西に位置し、先ほど寄った吉備津彦神社はこの山の北東に位置します。まあ、同じ山を御神体としているんですね。

 

場所

いやほんと、さっきいたところからバイクで10分もかからないところです。

 

社史と祭神

御祭神は第七代考霊天皇の皇子にましまし、第十代崇神天皇の御代に吉備の国に下られ、温羅と云う悪者を平らげて平和と秩序をきづき、この地に宮をいとなまれて吉備の国の人々のために仁政を行い給い、長寿を以てこの地に薨去せられました。社伝によれば仁徳天皇が吉備の国に行幸し給うた時、御創建になったもので、延喜式の定まるや明神大社に列し、やがた一品の神階を授けられましたので一品吉備津宮、また三備(備前、備中、備後)の一の宮と称せられ、全国の人々から深く信仰せられています。

出典:配布パンフレットより

国史では承和14年(847年)に従四位下の神階を受けた記載が残っており、少なくともこの時代には成立していた神社であることは確かなようです。
延喜式によると明神大社格なので、かなり上位ランクの神社だったことがわかります。明治維新後は官幣中社。

吉備の国が三つに分かれる前には、吉備の国で最も社格の高い神社として知られていたようで、非常に歴史のある神社だそうです。

 

祭神はこれまた沢山おりまして以下の通り。

主祭神

  • 大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)


相殿神

  • 御友別命(みともわけのみことのみこと)
  • 仲彦命(なかつひこのみこと)
  • 千々速比売命(ちちはやひめのみこと)
  • 倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)
  • 日子刺肩別命(ひこさすかたわけのみこと)
  • 倭迹迹日稚屋媛命(やまとととひわかやひめのみこと)
  • 彦寤間命(ひこさめまのみこと)
  • 若日子建吉備津日子命(わかひこたけきびつひこのみこと)

 

境内

早速境内へと入りましょう。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210719202744j:plain

大きな駐車場があり、階段を上って入っていきます。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210719202903j:plain

手水舎

階段下には手水舎があり、境内案内図があります。
北海道にはなかなかこういう瓦の屋根がないので、立派な瓦屋根を見ると道産子としては嬉しくなります。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210719202934j:plain

境内案内図

境内地図を見るとわかりますが、凄く広大な神社なんです!

f:id:Colonel_Zubrowka:20210719203929j:plain

f:id:Colonel_Zubrowka:20210719203941j:plain

階段を昇るとまずは北隋神門へとたどり着きます。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210719204032j:plain

この先に本殿があるのですが、まずは広場の方に行ってみます。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210719204204j:plain

奥の建物は祈祷殿ですね。


さて、本殿を見ると…

f:id:Colonel_Zubrowka:20210719204259j:plain

f:id:Colonel_Zubrowka:20210719204305j:plain

f:id:Colonel_Zubrowka:20210719204909j:plain

こんな建築様式の神社は見たことがありません。

本殿・拝殿は、室町時代の明徳元年(1390年)、後光厳天皇の命を受けた室町幕府3代将軍の足利義満が造営を開始し、応永32年(1425年)に遷座した。比翼入母屋造の本殿の手前に切妻造、平入りの拝殿が接続する。比翼入母屋造とは、入母屋造の屋根を前後に2つ並べた屋根形式で、「吉備津造」ともいうそうです。
本殿の大きさは、出雲大社本殿、八坂神社本殿に匹敵するとのこと。

この本殿、国宝でございます!この旅の国宝2号ですね。

 

さて、この神社にはもう一つ大きな見どころがあります。
それは長い回廊です。398mもあるそうです。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210719204846j:plain

f:id:Colonel_Zubrowka:20210719205043j:plain

夜に来ると、柱に掛かった灯篭が綺麗なんでしょうね。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210719205157j:plain

えびす宮

f:id:Colonel_Zubrowka:20210719205250j:plain

回廊の終点ですね。

回廊沿いには弓道場があり、旧道の練習をしていました。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210719205354j:plain

というわけで、吉備津神社なかなか壮大な神社でございました。

参拝の証に御朱印を戴きました。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210719210237j:plain

 

安芸国一の宮 厳島神社

本日の最終目的地は広島は安芸国。備後とか寄りたかったんですが時間がなかったのでスキップしました。

何故か安芸国だけ地図がなかったので割愛。
安芸国は言わずと知れた広島県は宮島。日本三景の一つですね。
日露戦争時代には三景艦と呼ばれる松島型防護巡洋艦「松島」「橋立」「厳島」がありました。おっと、これは余談。

 

場所

厳島神社は広島県の廿日市市にある宮島という瀬戸内海に浮かぶ島にあります。
本土から船で渡る必要があります。

JR山陽本線の宮島口駅か、広島電鉄(路面電車)の広電宮島口駅から宮島松大汽船か、JR西日本宮島フェリーで渡ることができます。車やバイクでフェリーに乗ることもできますが、我々は宮島口駅にバイクを停めて人間様だけで宮島に渡ることにしました。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210719212546j:plain

宮島口駅にて

そういえばこの旅初のバイクの写真(笑)
友人のKawasaki GPZと私のHONDA Shadow400です。3点パニアは非常に便利だとこの旅で認識しました。

さて、早速フェリーに乗り込みます。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210719230310j:plain

f:id:Colonel_Zubrowka:20210719230330j:plain

というわけで、フェリーの乗りこみ数分で付いてしまうのですが、短い船の旅を楽しみました。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210719230636j:plain

大鳥居を遠め目に

f:id:Colonel_Zubrowka:20210719230846j:plain

いよいよ宮島上陸です。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210719230915j:plain

宮島より歓迎戴きました。

早速お出迎えしてくれたのは…シカでした!

f:id:Colonel_Zubrowka:20210719231017j:plain

蝦夷鹿に比べたら小さいですな。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210719231101j:plain

f:id:Colonel_Zubrowka:20210719231133j:plain

厳島神社までの参道は、砂浜沿いを歩きます。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210719231328j:plain

やけに図々しい奴もいました。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210719231402j:plain

ゴミを漁るなゴミを!

 

f:id:Colonel_Zubrowka:20210719231513j:plain

徐々に大鳥居が近づいてきます。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210719231548j:plain

ここが厳島神社の入口です!行ったことのある人しか知らない地味スポットです。
狛犬の麓には…またお前たちか。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210719231727j:plain

奈良並みに鹿が沢山いましたが、早速境内へと入っていきます。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210719231826j:plain

いよいよ境内に入る前に社史のご紹介。

 

社史と祭神

当社の御祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)と素盞鳴尊(すさのおのみこと)が高天原(たかまのはら)で剣玉の御誓(うけい)をされた時に御出現になった神々で、御皇室の安泰や国家鎮護、また海上の守護神として古くから崇信を受けられた。

宮島に御鎮座地を探されるにあたり、この島を治める佐伯鞍職(さえきのくらもと)に神勅が下った。鞍職は大神様が高天原から連れてきた神鴉(ごからす)の先導のもと、御祭神と共に島の浦々を巡り、海水の差し引きする現在地を選んで御社殿を建てたのは、推古天皇御即位の年(593年)であると伝えられる。

その後安芸守となった平清盛(たいらのきよもり)が当社を篤く崇敬し、仁安3年(1168年)に寝殿造の様式を取り入れた御社殿に修造した。清盛の官位が上がるにつれ平家一門のみならず、承安4年(1174年)に、後白河(ごしらかわ)法皇の御幸(ごこう)、治承4年(1180)3月と9月に高倉上皇の御幸(ごこう)があるなど、多くの皇族・貴族が参詣され、都の文化がもたらされた。

当社に対する崇敬は、平家から源氏の世になっても変わることなく、又時代が移り室町時代の足利尊氏や義満、戦国時代の大内家、毛利家などからも崇拝された。

松島・天橋立と並び日本三景「安芸の宮島」として知られ、平成8年(1996年)にはユネスコの世界文化遺産に登録され現在にいたる。

 

出典:配布パンフレットより

文献での初出は、弘仁2年(811年)に名神に預かったという記録が残っており、延喜式には「安芸国佐伯郡 伊都伎嶋神社」と記載されて名神大社に列せられる安芸の国の一の宮とされていた。延喜式の時点で名神大社という高ランク神社だったようですね。

戦国時代に一度衰退するも、毛利元就が弘治元年(1555年)の厳島の戦いで勝利を収めて厳島を含む一帯を支配下に置くと、毛利氏から崇敬を受けて再び隆盛したそうです。

 

祭神

3柱が祭神とされており、「宗像三女神」と総称されています。

  • 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
  • 田心姫命(たごりひめのみこと)
  • 湍津姫命(たぎつひめのみこと)

海上安全系の女神様ですね。

 

境内

早速境内へと入っていきましょう。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210721002602j:plain

最初に拝観料を払って海上神殿へと入っていきます。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210721002643j:plain

御神馬がおります。作り物だったけど…

f:id:Colonel_Zubrowka:20210721002817j:plain

f:id:Colonel_Zubrowka:20210721002823j:plain

丁度干潮が始まりかけている時間でした。

早速回廊の入口へ…

f:id:Colonel_Zubrowka:20210721002908j:plain

お盆の時期なので激混みでしたね。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210721002956j:plain

鮮やかな朱色の柱の回廊をぐるぐると進みます。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210721003044j:plain

f:id:Colonel_Zubrowka:20210721003053j:plain

f:id:Colonel_Zubrowka:20210721003142j:plain

本殿を望む拝殿で参拝します。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210721003250j:plain

神社ではあるのですが、仏教建築の毛色の強い建築物でもあります。
明治時代の廃仏毀釈の際に仏教的であると取り壊されそうになったそうです。

本殿は切妻造の正面・背面の両方を長く伸ばし、その伸ばした部分を庇とした形となっています。「両流造」と呼ばれる建築様式だそうです。
回廊のイメージが強くてあまり本殿の形式が目立たないですね。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210721003548j:plain

f:id:Colonel_Zubrowka:20210721003600j:plain

本殿から海上へと突き出た桟橋の様な部分は平舞台と呼ばれています。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210721003726j:plain

これは本殿前の拝殿ですね。
有名な能舞台がこれです。能舞台には勿論上がれません。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210721003814j:plain

平舞台から海上の大鳥居に向けた部分は記念写真スポットとなっています。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210721004014j:plain

一通り見学をして社殿を後にします。

おっと、参拝の証にもちろん御朱印をいただきました。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210721004918j:plain

 

社殿を出ると砂浜でした。
ちょっと歩くと水族館もあります。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210721004115j:plain

f:id:Colonel_Zubrowka:20210721004214j:plain

大鳥居を真横から見るとこんな感じです。
そういえば箱根の芦ノ湖箱根神社の鳥居も同じようなデザインだったなぁ…

f:id:Colonel_Zubrowka:20210721004326j:plain

お隣には立派な五重塔もあります。
廃仏毀釈で仏教的なものは取り壊されたり移築されたりしましたが、こいつは生き残ったようですね。まあ、神社の裏の山にお寺もあるのですが。

参道のお店などを見物したりお茶したりしているうちに日が傾き始めました。

f:id:Colonel_Zubrowka:20210721004508j:plain

f:id:Colonel_Zubrowka:20210721004600j:plain

f:id:Colonel_Zubrowka:20210721004605j:plain

日が落ち切る前に、再びフェリーで本土に渡り、近隣のビジネスホテルで一泊しました。

厳島神社、国宝で世界遺産なだけあって素晴らしいところでした。
また是非行きたいものです。

 

今回の立ち寄り場所

これで出雲計画2日目が完了です。
3日目はいよいよメイン目標である出雲大社編です!おたのしみに。

 

当ブログを応援いただける方は以下のバナーをクリックしてくれると嬉しいです。 にほんブログ村 にほんブログ村へ
にほんブログ村