春ですね。
先日我が家も三か月点検がありましたが、その記事は追々書いていきたいと思います。
今回はちょっと小言系の記事となります。
昨今SNS上等で見かける機会が多くなってきたとあることについて。
Youtubeなんかでも建築関係の実務者が情報発信をするのが当たり前になりつつあり、専門教育を受けていない素人でも、建築に関する知識を得やすい環境になってきています。
そんな中、一条工務店は温熱性能を売りに売り上げを伸ばしていますが、そんな中大手のタマホームさんも温熱性能の高さを売りにし始めてきています。
高断熱・高気密(所謂高高住宅)に対する一般消費者の理解が深まりつつあるようで、かつて建築に携わったことのある身としては素直に歓迎したい機運だと思っています。
私自身、Twitterで建築実務者や住宅会社関係者、戸建て住宅を建てた施主の方々と交流を持つようになり、特に北海道の住宅事情とは違う内地(北海道人が本州含む北海道以外を指す俗語)の住宅事情なんかを知る機会を得られて、実に興味深いです。
北海道と比べると、どうしても内地はその方面では遅れているのも事実です。
そんな中、昨今気になる動きが一部の施主に出てきています。
住宅建築にあたって事前の情報収集を行う施主は多いですが、内地では比較的先端技術である高断熱・高気密住宅に関して、様々な実務者が提供する情報を得ている方は多いです。
また、同じ施主が運営するこのようなブログも情報収集に使われたりするケースは多いです。
所謂工務店と呼ばれる地域事業者の建築実務者が、この高断熱・高気密の温熱性能を売りにした住宅を提供していることを知り、そこで「住宅性能」というカテゴリーを覚え、自身の住宅建築において大いに参考にするというのは、これ自体悪いことだとは思っていないのですが、一部の施主はその得た知識を元に今度は「大手ハウスメーカーは先進的な工務店に比べて低性能住宅だ!」という風に頭が染まってしまう例が散見されます。
確かに、HEAT20クラスの温熱性能と比較すると大手10社と呼ばれる主要ハウスメーカーを含む多くの「大手」と言われるハウスメーカーが提供する住宅は、温熱性能に関していえばそれらに強い取り組みをしている地域工務店などと比べると、数値上の性能で劣るのも事実でしょう。
しかし、それをもって一部の施主(実務者も含みますが)が「大手HMで家を建てた人は住宅性能を知らずに騙されて高額な大手で家を建てさせられた情報弱者だ」と言わんばかりの態度をとる例が見られます。
たまにTwitter上でも軽く炎上していたりしますね。
現在において大手ハウスメーカーではZEH基準程度の性能は持っており、イメージしている「夏暑く、冬寒い」とは時代感の違う部分もあったりします。
自分が知っている高性能な住宅の知識を知らない残念な人!という発想なのでしょうが、この動きはとても歓迎できるものではありません。
私に言わせてもらうと、まさにFriendly fireです。
高性能な住宅の普及を目指して愚直に頑張っている実務者の方々の足を引っ張る行為にもなりかねません。
注文住宅の建築において、施主が情報収集をするうえで大事なことは、たくさんの選択肢を知り、その選択肢から自分自身のライフスタイルや価値観に合致したものをきちんとチョイスできるだけの知識を得ることです。
温熱性能もその選択肢の一つであり、理想を言うなら選択肢ではなくすべての住宅において標準装備されるべき要件ではあるのですが、そういった底上げは実務者が行政に働きかけて頑張ってくれています。
一部の施主や実務者が、「温熱性能なくば家にあらず」と言わんばかりの極端な論調で推し進めると、サイレントマジョリティはどういうリアクションをするのか?
賢明な方々には容易に想像がつくことだと思います。
中学校で地理の授業を真面目に受けていた人なら覚えているでしょうが、日本という国土は北は北海道、南は沖縄という南北に3000キロにわたる国土の中、更に日本海側気候、太平洋側気候、オホーツク型気候などなど、地域によってまた気候に特色があります。
北海道と沖縄で全く同じ仕様で家を作れば必ずしも快適かと言われるとそういうわけではありません。それぞれの地域の特色に合わせてカスタマイズした性能が求められます(北海道と沖縄では南中高度も日照時間も季節でそれぞれ違うので、庇の長さも各地域に合わせるなど)。
建築とは家の構造や使う材料だけではなく、その立地の条件(地盤や環境、気候。植物の植生や動植物の分布も含めて)等様々な条件を検討した上で最適解を見つける技術とも言えます。
温熱環境性能一つとっても、どこまでパッシブ設計に寄せるのか、耐気候性に寄せるのかなどアプローチは様々で、住宅性能といっても温熱だけではなく、耐震性や耐風性、耐久性など様々な性能が求められるわけです。
現在でも多くの建築家や実務者たちはその「最適解」を求めて日々研鑽し続けています。
そんな多くの複合的な知識や技術の集合体である建築、一介の素人が特定箇所だけの知識を持って他者を断罪するのは果たして妥当なのか?
これは私も含めてですが、実務者であろうと施主であろうと、情報発信において気を付けなければならない部分だと思います。
その点をしっかりと念頭に置き、情報発信や情報交換ができる健全なSNSでの情報交換の場が培われることを神奈川の空の下で願っています。
例の如く推敲もせず思ったことをだらだらと書きましたが、一言でまとめると…
「自分の知識と価値観が普遍的な絶対だと思ってしまったら、そこにはもう向上も成長もない」
ということですね。これは自分自身への戒めでもあります。
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