横断歩道のない場所を突然横断する老人や、点滅が始まっていても渡り始める老人を見かけることは多いと思います。そして、年寄り故に足も遅いので、結局赤信号に変わってもゆっくり渡り続けて、交通妨害になっていたりします。
先日、既に歩行者側が赤信号に変わってるのに渡り始めようとした爺さんが居て、さすがに気付いてないのだろうとクラクションをプッと鳴らしたら、「すまんすまん」と手を挙げてそのまま渡りきった猛者もいました(笑)
思わず隣に並んでいたトラックの運ちゃんと顔を見合わせましたよね。
さて、こういう老人の行動の原因はどこにあるんだろうなんて考えてみました。
私は行動心理学とかそっち方面は門外漢なので、ここから書くことは学術的な価値はありません。あくまで、私の想像です。
私はもうそろそろ四十になろうとしているおっさんです。アイコンはおばさんですが。
たまに痛感して痛い目にあうことがあります。感覚が十代二十代のままで、いざ動いたときに身体がついてこなくて怪我をしたりする。
そう、気持ちが認識している身体の機能と、実際の身体の機能が加齢とともに乖離して行っているんです。
車が途切れたタイミングで小走りで道路を横断しようとして、若ければものの数秒で渡りきれたものが、加齢で身体が言うことを聞かなくなり、数秒どころか数分かかってしまうこともある。
つまり、これなんだろうと。過信や慢心なんですね。
よく、深夜の道路で老人が横断中に車に轢かれて亡くなったりするニュースがありますが、ここの誤差が原因の大半ではなかろうかと思います。
ハンドルを握るものとしてはたまったものではありません。
しかし、将来自分達が年寄りになったときに同じことをしないと言えるのか?
少なくとも、そういった過信や慢心で若い世代の将来を無駄に奪う年寄りにはなりたくないとは、誰もが思うとは思います。
そこで私が心がけていることを書いて、この話題は締めさせてもらいます。
皆さんは、車が全く来ているように見えない交差点に差し掛かったときに、赤信号でも渡ったりしませんか?
また、少し歩けば横断歩道なり信号機のある交差点があっても、車が来ていなかったらそのまま道路を横断していませんか?
これって、若くて認知機能も運動機能も能力が落ちていないから問題が起きていないだけで、数十年後に同じ感覚でいると…
つまり、こういう癖を若いうちからつけてしまうと、年をとったときにも抜けないのです。
個人の癖や習慣化して無意識にやってしまうことを個癖というのですが、これは習慣の積み重ねで蓄積されてきてしまいます。
鉄は熱いうちに打てなんて言いますが、こういう個癖は若いうちに矯正すれば治り安いです。癖になる前に矯正してしまう。
私もよく知人友人に、真夜中の誰もいない赤信号で止まって待っていると「誰もいないんだから行けばいいのに」と言われますが、今から癖を付けないと将来的に迷惑な老人になってしまうから、そういった部分をかなり意識して生活をしています。
たとえ認知症になっても、身体に染み着いた癖ならきっと、徘徊しても車に轢かれる可能性は下がると信じて…
家づくりのブログなので、最後に無理矢理家に当てはめてみますが、癖はなかなか直らないですが、新しい家の設計をする上で、今までの悪い癖を直すための矯正設計を取り入れてみるのも、一つの選択肢かもしれませんね。