へーベルハウス建築記@神奈川県川崎市

神奈川県川崎市に旭化成へーベルハウスの家を建てた記録

ヘーベルハウス建築記@神奈川県川崎市

311から9年

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311の大震災から本日で九年です。

正直、「もう九年なの?!」という感想を抱いております。まるでこの間のことのように思えてしまう程、脳裏に焼き付く震災でした。

 

リアルタイムで放送される津波のシーン。

ハリウッド映画かと思うような衝撃的な映像でした。

 

あの日私は、東京は池袋にいました。その時の勤務場所が池袋だったのです。

その時いたビルは免震構造の比較的新しいビルでしたが、それでも震度5強の揺れは大きかったことを覚えています。

 

室内のプラスターボードが何ヶ所も揺れでヒビが入りました。

その時私は、金属製のドアが歪みで開かなくなることを危惧して避難経路となるドアを開けながら揺れが収まるのを待っていました。

 

揺れが収まった後は、誰かが付けたテレビで次々に報道される被害状況。

押し寄せる津波…

私の住む川崎の一部でも停電が起こったことも知りました。

 

19時半、何とか仕事を終えて会社を出て、自宅へ向かうことにしました。

東京の街には大量の帰宅難民が溢れ、交通機関はバスを除きすべて止まっていました。

バス停は長蛇の列、タクシー待ちもディズニーランド並みの列でした。

 

私は狛江に住む同僚と共に、まずは渋谷を目指しました。

明治通り沿いにひたすら南下し、渋谷に到着したのは21時でした。

コンビニの棚は空になり、お店は閉まっているか満員でした。

 

自動販売機で暖かいコーヒーを買い、そこで同僚と別れ、再び歩き始めました。

目指すは武蔵小杉。

 

東急東横線の線路沿いにひたすら歩き続けます。

東横線の線路では保線技師たちが必死の点検を行っていました。

 

日付も変わろうとする頃、やっと多摩川までたどり着きましたが、なんと東横線が復旧!

多摩川駅から乗車し、何とか武蔵小杉にたどり着きました。

 

武蔵小杉駅では、JRが止まっているため川崎市営バスと東急バス、臨港バスが終夜運転を行い、帰宅難民たちを必死に輸送していました。

 

池袋から約五時間半かけて何とか武蔵小杉までたどり着き、帰宅しました。

 

普段は殆ど観ないテレビをつけて、ニュースを追いました。

 

あの時ほど思いました。「なぜ自分はこの時に自衛官ではなかったのか!」と。

自衛官時代の同僚達は皆被災地へと行きました。

その時の体験が原因で、心を痛め、自衛官を辞めた同僚も何人かいました。

それほどまでに悲惨な現場だったようです。

 

あれから九年ですが、その間にも沢山の災害がありました。

私の故郷北海道では、地震によるブラックアウトが起きました。

去年は台風19号により、多摩川氾濫の危機もありました。

 

次は再び関東大震災が起こると言われています。

自然災害には勝てません。かといって、今の生活を捨てる覚悟も勇気もなく、自然災害から逃れるためにこの地を去る事もできません。

 

だからそこ、我が家は比類無き壁ヘーベルハウスを選んだのかもしれません。

 

最後に、震災で亡くなったすべての方々に心よりご冥福をお祈りします。